学級通信第52号、そして。
2003年10月2日 学校・勉強誇り高く、自身を成長させよう
せきねが授業を担当して知っている、キミたちの先輩を紹介しよう。
文化祭前、昼ご飯の時に来た中等部3年のセイヤ君は、覚えている人が多いかもしれない。代表委員の打ち合わせで、ウチのクラスまで連絡をしに来た男子生徒だ。あの時だけではなく、いつも場を和ませる、そういう先輩である。
そういえば、セイヤ君が学校でグチを言っている姿をあまり見かけていない気がする。
これってすごいことだ。
自分のことだけをやっていても、イヤなことは多い。
まして代表委員だとか、他の人のことを考えて行動する時なんかなおさらだ。
夏休みに、学校からただひとり、市内の中学生が集まる会議へと出かけていった姿を見たこともあった。
暑く、他に中等部の生徒が誰も登校していない日だった。
それでもイヤそうな顔をせずに出かけていったのを、せきねはすごいなあと思った。
笑顔とユーモアを絶やさない。これって優秀なリーダーには不可欠なことなのである。
同じく中等部3年に所属しているタカツキ君は、テニス部の先輩だ。
少し前に、せきねは7時くらいに学校に来た時があった。
中等部の職員室にはまだ誰もいない時間。
登校している生徒もごくわずかだろう。
そんな時間から、タカツキ君は壁テニスをずっとしていたのである。
ウチの中等部は、部活動の日が少ない。
もちろん、高等部になれば部活動ができる時間はぐんと増えるが、中等部のうちに大会に出て他の学校と対戦してみると、悔しい思いをすることも多いだろう。
タカツキ君は3年だから、中学の部活動は引退。
そして普通の中学3年生は、高校受験のために、半年の間、部活動をしなくなる。
しかしウチは中高一貫だから、やろうとする気持ちさえあれば、ずっと運動を続けることができる。
そう、彼は誰も見ていない時間に、練習を続けているのである。
タカツキ君が高等部でテニスを続けるかどうかはわからない。
しかし、高等部になってから、どんなスポーツでも優秀な成果を修めるのではないかと思っている。
高等部の2年に、テニス部に所属しているオンダ君がいる。
夏休み前のこと。
高等部校舎3階の男子トイレで、水があふれ出したことがあった。
男子の小用の便器は上から水が流れるようになっているのだが、その上部のパイプが壁から力任せに引っこ抜かれていたのである。
(たくさんの生徒がいる学校だと、ごくたまにそういうことをする不届き者がいる。断固として許し難いことである)
気付けば、トイレ全体が流れ続ける水であふれんばかりになっていた。
普通ならば、教員に知らせて修理されるのを待つだろう。
しかし、オンダ君は違った。
待っている間にも流れ続ける水を見かねて、あふれる水の中を壊れている便器に近づき、水が制服にかかるのも構わずに、上部のパイプをまた元に戻したのである。
使われる前の水だから、汚くはない。
けれど、なかなかできることではないだろう。
物事の是非を判断する知性と、善を断固として貫く勇気がなければ、できないことだ。
せきねはこの話を聞いて、年齢や立場を超えて、頭が下がる思いがした。
学校生活を送っていて、「あーあ、つまらないなあ」と嘆くのは簡単だ。
「やってられないよ」と不満をぶちまけるのは簡単だ。
けれど大事なのは。
「今ある環境をどう変えていくか」
「どのようにしてより良くしていくか」
こういう姿勢である。
みんなで、先輩の良いところを見習っていきたいものですね。
===================
学校という場で、ほめられるべきことって何なのだろう。
高得点を取った試験の成績。
優れた運動能力。
何か特別な人助け。
もちろんみんなすごいことなんだけど、それだけではないように、ずっと感じていた。
目立たないこと。
誰も気付かないような些細なこと。
余裕のない世間では振り向きもされないようなことこそが、学校という場できちんと称揚されなければいけないような気がした。
何もできない善人よりも、何かができる悪人の方がまだマシだ。
この思いは変わらないけれど。
当たり前ながら、能力のある善人が一番いいのは言うまでもない。
クラスで配布する前に、「ウチのクラスのプリントに、キミのことを書いてしまった。もしイヤだったら出すのをやめるけど、どうだろう?」と、ひとりひとりに聞きに行った。
みんな、快く了解してくれた。
帰りの会で配布しながら、ウチの子たちが誇り高くなることを願う。
他人の視線の有る無しで行動を変えないように。
相手の持つ雰囲気で態度を変えないように。
そういう卑劣な人格ではないように。
せきねが授業を担当して知っている、キミたちの先輩を紹介しよう。
文化祭前、昼ご飯の時に来た中等部3年のセイヤ君は、覚えている人が多いかもしれない。代表委員の打ち合わせで、ウチのクラスまで連絡をしに来た男子生徒だ。あの時だけではなく、いつも場を和ませる、そういう先輩である。
そういえば、セイヤ君が学校でグチを言っている姿をあまり見かけていない気がする。
これってすごいことだ。
自分のことだけをやっていても、イヤなことは多い。
まして代表委員だとか、他の人のことを考えて行動する時なんかなおさらだ。
夏休みに、学校からただひとり、市内の中学生が集まる会議へと出かけていった姿を見たこともあった。
暑く、他に中等部の生徒が誰も登校していない日だった。
それでもイヤそうな顔をせずに出かけていったのを、せきねはすごいなあと思った。
笑顔とユーモアを絶やさない。これって優秀なリーダーには不可欠なことなのである。
同じく中等部3年に所属しているタカツキ君は、テニス部の先輩だ。
少し前に、せきねは7時くらいに学校に来た時があった。
中等部の職員室にはまだ誰もいない時間。
登校している生徒もごくわずかだろう。
そんな時間から、タカツキ君は壁テニスをずっとしていたのである。
ウチの中等部は、部活動の日が少ない。
もちろん、高等部になれば部活動ができる時間はぐんと増えるが、中等部のうちに大会に出て他の学校と対戦してみると、悔しい思いをすることも多いだろう。
タカツキ君は3年だから、中学の部活動は引退。
そして普通の中学3年生は、高校受験のために、半年の間、部活動をしなくなる。
しかしウチは中高一貫だから、やろうとする気持ちさえあれば、ずっと運動を続けることができる。
そう、彼は誰も見ていない時間に、練習を続けているのである。
タカツキ君が高等部でテニスを続けるかどうかはわからない。
しかし、高等部になってから、どんなスポーツでも優秀な成果を修めるのではないかと思っている。
高等部の2年に、テニス部に所属しているオンダ君がいる。
夏休み前のこと。
高等部校舎3階の男子トイレで、水があふれ出したことがあった。
男子の小用の便器は上から水が流れるようになっているのだが、その上部のパイプが壁から力任せに引っこ抜かれていたのである。
(たくさんの生徒がいる学校だと、ごくたまにそういうことをする不届き者がいる。断固として許し難いことである)
気付けば、トイレ全体が流れ続ける水であふれんばかりになっていた。
普通ならば、教員に知らせて修理されるのを待つだろう。
しかし、オンダ君は違った。
待っている間にも流れ続ける水を見かねて、あふれる水の中を壊れている便器に近づき、水が制服にかかるのも構わずに、上部のパイプをまた元に戻したのである。
使われる前の水だから、汚くはない。
けれど、なかなかできることではないだろう。
物事の是非を判断する知性と、善を断固として貫く勇気がなければ、できないことだ。
せきねはこの話を聞いて、年齢や立場を超えて、頭が下がる思いがした。
学校生活を送っていて、「あーあ、つまらないなあ」と嘆くのは簡単だ。
「やってられないよ」と不満をぶちまけるのは簡単だ。
けれど大事なのは。
「今ある環境をどう変えていくか」
「どのようにしてより良くしていくか」
こういう姿勢である。
みんなで、先輩の良いところを見習っていきたいものですね。
===================
学校という場で、ほめられるべきことって何なのだろう。
高得点を取った試験の成績。
優れた運動能力。
何か特別な人助け。
もちろんみんなすごいことなんだけど、それだけではないように、ずっと感じていた。
目立たないこと。
誰も気付かないような些細なこと。
余裕のない世間では振り向きもされないようなことこそが、学校という場できちんと称揚されなければいけないような気がした。
何もできない善人よりも、何かができる悪人の方がまだマシだ。
この思いは変わらないけれど。
当たり前ながら、能力のある善人が一番いいのは言うまでもない。
クラスで配布する前に、「ウチのクラスのプリントに、キミのことを書いてしまった。もしイヤだったら出すのをやめるけど、どうだろう?」と、ひとりひとりに聞きに行った。
みんな、快く了解してくれた。
帰りの会で配布しながら、ウチの子たちが誇り高くなることを願う。
他人の視線の有る無しで行動を変えないように。
相手の持つ雰囲気で態度を変えないように。
そういう卑劣な人格ではないように。
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