学級通信第40号。
2003年9月11日東海の 小島の磯の白砂に
われ泣き濡れて
蟹とたはむる
明治40年代は不況に見舞われた時代であった。
その世相の中で、青年・石川啄木が詠んだ歌。
岩手県から文学で身を立てようとして上京、失敗、実家が傾いて一家離散し、北海道を流転し、ふたたび東京に来て創作活動をした人である。
挫折と貧窮になやむ啄木は、苦しさを隠さない。
小さきものとふれあい、そのまわりにはきよらかな白い砂浜が広がっている。
身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂
幕末の少し前の話。山口県の片田舎に、吉田寅次郎という少年がいた。
養父が亡くなり、わずか5歳で吉田家の当主となった。彼の師は、寅次郎に言う。
「お前はただの幼い子どもではない。毛利家・三十六万九千石の山鹿流兵学の師範である。お前が一日勉学を怠れば、国家の武は一日遅れることになるのだ」
こうして真剣に学び続けた寅次郎は、成人して"松陰"と名乗り、そのもとには多くの若者たちが集まる。吉田松陰は罪人として死刑になるが、弟子たちは幕末から明治維新にかけて活躍し、歴史に名を残したことは広く知られている。
吉田松陰が、処刑される直前に詠んだ歌。
たとえこの体は滅んでしまうとしても、自分には残すべき魂がある。
混乱の深まる日本を何とかしたい。その気持ちは死んでも消えない。
毎日、ぼうだいな情報がわたしたちを囲む。
何をしていいか判らない、何をしても変わらない、そう思う時も多い。
でも、その人にしかできないことは必ずある。
「使命」と言ってもいい。
たとえば、都市の環境が悪化している問題。
たとえば、各国が権力を競い合っている国際問題。
あらゆる場所で、課題を解決することのできる人の出現が求められている。
みなさんのことです。
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